このNHK版は、 ギャラクシー賞候補になるなど大きな反響を呼び、加えて、公開に先立って自主上映会を全国で50回以上開き、3000人以上もの観客を動員しました。 若し若い女子が僕とか君とかを使ったとしたら・・・そういう女子は日本の女子ではないと言わなければなりません」(言葉遣いの作法) この文章からは、その当時男の子のような言葉遣いをする少女たちが、大人たちの気になるほど多く存在したということがよみとれると女史はいう。 小林さんの映画での最後の決断も、性って不可思議で自由なものだと観客に自然に思わせる。
9この絵本では、同じ時代を生きる様々な国の子どもたちが登場します。
18歳で、本人曰く「必要のないもの」である胸を切除する手術を受け、着実に男性としての自分を取り戻していきます。
だから自分の娘も一定の年齢に達すれば、女らしい言葉遣いを身に着けてほしい。
成人式に出席しなかった空雅にすれば、ある意味この手術が、大人になるためのイニシエーション(通過儀礼)。 常井曰く、性同一性障害という言葉自体は当時からあったものの、その意味を知る者は少なかったとされる中、偶然知り合ったのが、本作のメイン被写体である小林空雅でした。
121時間では結論が出なかったので、いつから不思 議な世界に入ったかもう一度検討した。
(C)2019 Miyuki Tokoi そしてもう1人は、自らの性別を男女の性差にくくらない「Xジェンダー」として、性のダイバーシティを伝える中島潤です。
(あづりんさん 40代・ママ 女の子8歳、男の子5歳). 空雅が様々な人とふれあうなかで浮かび上がってきたのは、性という枠組みでは括りきれない、多様で豊かな人生でした。
いま、この時代を生きているというと、みんなが日本のような豊かな暮らしをしていると思ってしまいますが、現実は違うのだということを改めて感じました。 あらすじ ぼくがラーメン食べてるとき、隣でミケがあくびした。 ぼくが部屋でラーメンを食べているときに、違う国では男の子が倒れています。
139年間の歳月を経て掴んだ生き方 (C)2019 Miyuki Tokoi 20歳になり、空雅は念願だった子宮と卵巣を切除する性別適合手術を受けます。
男の子は男らしい話し方をするべきなのであり、女の子は女らしい言葉遣いをするべきなのだ。
パスポートのおける性別欄の国際規格も、男、女、Xと3つの選択肢になっています。
彼らと出会うことで、私は自分の生き方を問い直し、新たな気づきをもらい、自分が目指す社会へのイメージを膨らませるきっかけをもらいました。
こんなのあったら、うちの子ども達も喜ぶだろうなぁ。
誕生日のプレゼントの恐竜の着ぐるみパジャマ着て公園へ遊びに行くと、本物の恐竜がやってきて「遊びにおいでよ!」だって! 恐竜の世界でぼくは・・・。
なんとも胸にささる言葉です。
しかし、子宮と卵巣を切除する性別適合手術の費用を稼ぐべく、バイト求人に履歴書を出すも、ある記入欄を空白にしているため、全く採用されません。 男と女に二分される性に違和感を感じ、自ら「Xジェンダー(性別なし)」であることを明かして、性の多様性を伝える中島潤。 まだ性同一性障害という言葉がなかった時代ゆえに、誰にも相談できなかった八代は、戦後はチェロ演奏家への道を進み、音楽を通じて出会った女性と結婚します。
女の子として生まれ、男の子として生きたいと望んだ空雅(たかまさ)。
平和な日本では想像できない暮らしをしている人たちがいるのです。
本作はそんな1人の若者の9年間の変化と成長を描いた《こころの居場所》についてのドキュメンタリーです。
以前に当連載コラムで紹介した『ぼくと、彼と、』(2019)もその一本で、この作品では、日本人とベトナム難民2世の男性カップルの日々の生活と結婚式までを追っています。
5果敢に身体を変え、戸籍も男性に戻した。
またそのことに対して、このような苦言が呈せられている背景には、少女というものは普通の女性と同じように、女に相応しいことば、つまり女ことばを話すべきだという信念が潜んでいることの現われだと女史はいう。
自分とは違う人、違う国の人のことを考えるきっかけになる絵本です。